平和な日本(=サラ・シャンティ)に生きていて。
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定年ってやはりありがたい事ですね。まだ十分に体力もありますので自分の好きなことが出来る時間を持てることは本当に嬉しいです。周りの人からも、勤めていたときよりも忙しいそうだとよく言われます。なんと答えて良いのやらですが、この間取り組んできたことは、日本に生まれ日本人としての使命と生き甲斐を感じ、今この時代動かなくてどうする「世界広しといっても僕にしかできないことだから」と思ってやってます。これは勿論サラ・シャンティ12年の活動の間にご縁を持てた素晴らしい仲間の支えがあるお陰です。ご縁を頂いた方にメールを送ったりして迷惑をかけているかもしれませんが、よろしくお願いします。
37号で詳しく報告しましたが、アレイダ・ゲバラの来日を聞いたとき関西で講演を主催するお役目を頂き、どうしても大阪、京都、神戸の三ヶ所で成功させたい気持ちになり、アレイダさんの旅の疲れや観光の手配も考えず三日連続講演を決めていました。折角のこのチャンスを最大に生かしてゲバラの娘のこと、現在のキューバの有機農業、医療、教育など一人でも多くの人に知ってもらいたい、だからすべての会場を一杯にし成功しなければ意味がないと思いました。これは誰から頼まれた訳ではなく、自分で天命だと思って決めたのです。慣れない宣伝活動やマスコミとの対応などに四苦八苦している間にトライアスロン大会への準備もできず、3会場の問い合わせが入り始めて仕方なく出場をキャンセルしました。10年連続出場と一番大切にしていた大会の事を忘れるほどですから、やはり以前(会社勤め時代)とは少し雰囲気が違う目つきになっているのかもしれません。
定年後一番したかったことは海外へいく事でした。でもパック旅行ではありません。行かねばならない流れがなぜか生まれ、偶然が重なり環境が用意され、どうしても行かざるを得ず決断するような、僕の人生にとって必然・必要・ベストな意味を持つ旅行です。それがこの2年間に4度ありました。まさかこんなに行くとは思ってませんでしたが、会社に勤めていれば不可能なことでした。学生時代にキューバやメキシコに行ったような旅、それはシンクロニシティ(共時性)や神秘的な体験に満ちた旅になり、後々に思い出深いものになります。会社勤めの時の超豪華グルメ慰安旅行は毎年のように行きそれなりに楽しかったかもしれませんが、まったく違うものです。
最初は2007年正月インドのサイババのアシュラムへ、次は同じ年の秋に神戸の国際的なラージャ・ヨガ・センター「ブラーマ・クマリス」からの招待での9日間のインドMt.アブーの広大な施設での研修、3度目2008年正月はサラ・シャンティの三宅先生の師匠・相方先生のヨガ研修会でタイへ、4度目は2月にキューバ医療視察のツアーで2週間、その後チェ・ゲバラの娘アレイダさんの講演を大阪・京都・神戸で取り組んだ顛末については「出会い37号で詳細に伝えました。
タイ訪問ではお陰で昨年の内紛になぜ軍や警察が出動・弾圧せず平和裏に解決したかよく分かる学びがありました。キューバも「なんでそんな怖いところ」なんて云う人がいますが、今年は革命50周年記念行事が開催され、ゲバラとカストロの評価が一気に高まる年になり、オバマ米大統領もキューバに対する封鎖を解除し国交を回復せざるを得ないと認識しているはずです。この時期にキューバを訪問し、アレイダ・ゲバラさんのお手伝いができたのは本当にラッキーです。そして一番怪しそうなサイババのアシュラムも「サイババってなに?」「なんでそんなところに行ったの」と疑問を持たれる人が多いと思います。でも敢えて勇気を出して書いてみたいと思います.
これは震災直後の体験ですが、非科学的なことなど口にするなんて恥ずかしいと思うような科学万能の価値観で育てられた世代の私が、なぜ50歳近い年になってこんな手品かマジックじゃないと疑われそうな事を体験させられたか不思議です。でもこの体験は私一人ではなく大勢の人の前で同時に体験したことですので、証人になってくださる人は沢山います。
震災前のことはここで省略し、私が震災後にご縁を頂いた山本ヨガの山本先生が日本人の代表をしている神戸のサイ・センター主催の95年・96年のサイババの聖誕祭の行事でのことです。一度目は神戸のサイ・センターにある20cm高の大理石のガネーシャ像が鼻下の口の部分からスプーンのミルクをスポイトが吸い取るように飲んだこと、その時は集まったボランティア50人くらいが全員その体験をさせてもらえたこと。あとで聞いた話だと神戸在住のインド人も沢山集まってきて最終的には1リットルパックを6本近く飲んでしまったそうです。もう一つは福山・弥勒の里の会場に入る花で飾られた廊下のピータイルから蜜(アムリタ)がむくむくと噴出し、それを集まっていた千人近い人が舐めて甘さを確認しました。
この体験をした翌年の97年5月にサラ・シャンティをオープンした訳で、この年をサイババが「平安(シャンティ)の年」と呼んでいたので、山本先生に相談してシャンティをもらいスペイン語のサラ(部屋)をつけて「サラ・シャンティ」としました。オーム真理教の事件もあり、まったく関係のない日本のヨガの指導者が誤解され被害をうけた時期でしたので、その余波を受けて生徒がなかなか集まらず講座を開いてくれた講師の方々に大変苦労かけました。でもいずれヨガ・ブームが再来すると確信していましたし、最近はサラ・シャンティという名前の商品も生まれています。
こんな体験をするとさぞ熱心なサイババの信仰者だと思われるかもしれませんが、ただ好奇心が旺盛なだけです。サラ・シャンティがオープンした後は忙しくなりサイセンターへまったく行かなくなりました。でも定年になったら一度サイババさん所に行ってみたい、その頃になったら何かまた起こるだろうなんて身勝手なことを考えて忘れていました。そして定年の2年前頃に気功家の中健次郎先生のチラシの写真を一目見て気になったので、その高野山の合宿に参加しました。そこでなんと気功家であるはずの中先生が十数年以上も毎年サイババのアシュラムに行かれている方だと知った訳です。(中先生は大変評判が高く、現在日本の気功界の第一人者で勿論中国へも毎年行かれて学ばれ厳しい修業をされていますので、誤解がないように付け加えます。)
この「出会い」をサイババから「中先生と来なさい」とのメッセージだとまた自分に都合よく思うわけです。そして1年後の8月末の合宿に再度参加した直後から定年を迎える4ヶ月の間に次々とこの流れを後押しするような事が起こりました。中先生からも詳しく事情を聞き、現地に先に入って滞在の準備などお世話をしてくださいました。そして妻と二人で定年最後の有給休暇を利用して年末の24日から私の誕生日の1月8日までアシュラムに滞在する日程を立てました。勤め先には悪かったのですが、どうしても8日の誕生日までは滞在したいと思ったのです。そしてその日思いがかなってステキなプレゼントを頂きました。(残念ながらもうスペースがありません。残りの3つの旅行についても、もしご希望があればお話する機会を持ちたいです。)
そして今、ドカーンと大きな変化がやって来ました。米国主導の新自由主義やグローバリズムやカジノ経済のおかげで世界中が迷惑を受けていますが、これでやっと大量生産・大量消費の文化に世界が反省するチャンス到来なのでしょう。自動車の販売台数が年間20%程度減ったからって嘆くことはないでしょう。人間優先でなく車優先の都市造りで健康被害から様々な問題が生まれたのですから、これを機会に自給率を回復する農業政策を立て直して欲しいですね。
賢い最近の若者たちはマイカーに依存しないライフスタイルを追求するようになったこと、有名ブランドではなくフェアトレードの商品を買うようになり、食についても玄米菜食やマクロバイオティック、有機栽培の野菜の料理が若者文化として普通なって来たのではないでしょうか?ホ・オポノポノの講演会が満席になるなど、日本は「精神的な豊かさ」を大切にする社会になって来ていますが、共産党が若者に人気でマルクスの再評価も嬉しい兆候ではないでしょうか。
アセンションや次元上昇の時代なんて言葉も使っている人が増えました。テレビは無駄な情報を垂れ流し貴重な時間を浪費させますが、パソコンはインターネットを使えばどんな情報でも検索して入手できる時代。しかし使い方を間違うと怖い道具、もっと大切な情報だけを選ぶようになれば、新しい意識に目覚める「認識革命」の時代になるだろうと韓国のノ・ジェスさんが云ってますが、彼の講演会でぜひ熱血トークを聞いてください。
アレイダ・ゲバラ滞在中の通訳だった星野弥生さんが全講演収録を訳し、彼女の滞在中のエピソードも加え「父ゲバラとともに勝利の日まで」を同時代社より出版されました。私のことも何ヶ所で書かれていますのでぜひ読んで下さい。
チェ・ゲバラの生涯を描いた「28歳の革命」と「39歳別れの手紙」の二つの映画が新春早々封切られます。最高にすばらしくチェが演じられ、キューバ革命について理解して頂ける映画です。
37号で詳しく報告しましたが、アレイダ・ゲバラの来日を聞いたとき関西で講演を主催するお役目を頂き、どうしても大阪、京都、神戸の三ヶ所で成功させたい気持ちになり、アレイダさんの旅の疲れや観光の手配も考えず三日連続講演を決めていました。折角のこのチャンスを最大に生かしてゲバラの娘のこと、現在のキューバの有機農業、医療、教育など一人でも多くの人に知ってもらいたい、だからすべての会場を一杯にし成功しなければ意味がないと思いました。これは誰から頼まれた訳ではなく、自分で天命だと思って決めたのです。慣れない宣伝活動やマスコミとの対応などに四苦八苦している間にトライアスロン大会への準備もできず、3会場の問い合わせが入り始めて仕方なく出場をキャンセルしました。10年連続出場と一番大切にしていた大会の事を忘れるほどですから、やはり以前(会社勤め時代)とは少し雰囲気が違う目つきになっているのかもしれません。
定年後一番したかったことは海外へいく事でした。でもパック旅行ではありません。行かねばならない流れがなぜか生まれ、偶然が重なり環境が用意され、どうしても行かざるを得ず決断するような、僕の人生にとって必然・必要・ベストな意味を持つ旅行です。それがこの2年間に4度ありました。まさかこんなに行くとは思ってませんでしたが、会社に勤めていれば不可能なことでした。学生時代にキューバやメキシコに行ったような旅、それはシンクロニシティ(共時性)や神秘的な体験に満ちた旅になり、後々に思い出深いものになります。会社勤めの時の超豪華グルメ慰安旅行は毎年のように行きそれなりに楽しかったかもしれませんが、まったく違うものです。
最初は2007年正月インドのサイババのアシュラムへ、次は同じ年の秋に神戸の国際的なラージャ・ヨガ・センター「ブラーマ・クマリス」からの招待での9日間のインドMt.アブーの広大な施設での研修、3度目2008年正月はサラ・シャンティの三宅先生の師匠・相方先生のヨガ研修会でタイへ、4度目は2月にキューバ医療視察のツアーで2週間、その後チェ・ゲバラの娘アレイダさんの講演を大阪・京都・神戸で取り組んだ顛末については「出会い37号で詳細に伝えました。
タイ訪問ではお陰で昨年の内紛になぜ軍や警察が出動・弾圧せず平和裏に解決したかよく分かる学びがありました。キューバも「なんでそんな怖いところ」なんて云う人がいますが、今年は革命50周年記念行事が開催され、ゲバラとカストロの評価が一気に高まる年になり、オバマ米大統領もキューバに対する封鎖を解除し国交を回復せざるを得ないと認識しているはずです。この時期にキューバを訪問し、アレイダ・ゲバラさんのお手伝いができたのは本当にラッキーです。そして一番怪しそうなサイババのアシュラムも「サイババってなに?」「なんでそんなところに行ったの」と疑問を持たれる人が多いと思います。でも敢えて勇気を出して書いてみたいと思います.
これは震災直後の体験ですが、非科学的なことなど口にするなんて恥ずかしいと思うような科学万能の価値観で育てられた世代の私が、なぜ50歳近い年になってこんな手品かマジックじゃないと疑われそうな事を体験させられたか不思議です。でもこの体験は私一人ではなく大勢の人の前で同時に体験したことですので、証人になってくださる人は沢山います。
震災前のことはここで省略し、私が震災後にご縁を頂いた山本ヨガの山本先生が日本人の代表をしている神戸のサイ・センター主催の95年・96年のサイババの聖誕祭の行事でのことです。一度目は神戸のサイ・センターにある20cm高の大理石のガネーシャ像が鼻下の口の部分からスプーンのミルクをスポイトが吸い取るように飲んだこと、その時は集まったボランティア50人くらいが全員その体験をさせてもらえたこと。あとで聞いた話だと神戸在住のインド人も沢山集まってきて最終的には1リットルパックを6本近く飲んでしまったそうです。もう一つは福山・弥勒の里の会場に入る花で飾られた廊下のピータイルから蜜(アムリタ)がむくむくと噴出し、それを集まっていた千人近い人が舐めて甘さを確認しました。
この体験をした翌年の97年5月にサラ・シャンティをオープンした訳で、この年をサイババが「平安(シャンティ)の年」と呼んでいたので、山本先生に相談してシャンティをもらいスペイン語のサラ(部屋)をつけて「サラ・シャンティ」としました。オーム真理教の事件もあり、まったく関係のない日本のヨガの指導者が誤解され被害をうけた時期でしたので、その余波を受けて生徒がなかなか集まらず講座を開いてくれた講師の方々に大変苦労かけました。でもいずれヨガ・ブームが再来すると確信していましたし、最近はサラ・シャンティという名前の商品も生まれています。
こんな体験をするとさぞ熱心なサイババの信仰者だと思われるかもしれませんが、ただ好奇心が旺盛なだけです。サラ・シャンティがオープンした後は忙しくなりサイセンターへまったく行かなくなりました。でも定年になったら一度サイババさん所に行ってみたい、その頃になったら何かまた起こるだろうなんて身勝手なことを考えて忘れていました。そして定年の2年前頃に気功家の中健次郎先生のチラシの写真を一目見て気になったので、その高野山の合宿に参加しました。そこでなんと気功家であるはずの中先生が十数年以上も毎年サイババのアシュラムに行かれている方だと知った訳です。(中先生は大変評判が高く、現在日本の気功界の第一人者で勿論中国へも毎年行かれて学ばれ厳しい修業をされていますので、誤解がないように付け加えます。)
この「出会い」をサイババから「中先生と来なさい」とのメッセージだとまた自分に都合よく思うわけです。そして1年後の8月末の合宿に再度参加した直後から定年を迎える4ヶ月の間に次々とこの流れを後押しするような事が起こりました。中先生からも詳しく事情を聞き、現地に先に入って滞在の準備などお世話をしてくださいました。そして妻と二人で定年最後の有給休暇を利用して年末の24日から私の誕生日の1月8日までアシュラムに滞在する日程を立てました。勤め先には悪かったのですが、どうしても8日の誕生日までは滞在したいと思ったのです。そしてその日思いがかなってステキなプレゼントを頂きました。(残念ながらもうスペースがありません。残りの3つの旅行についても、もしご希望があればお話する機会を持ちたいです。)
そして今、ドカーンと大きな変化がやって来ました。米国主導の新自由主義やグローバリズムやカジノ経済のおかげで世界中が迷惑を受けていますが、これでやっと大量生産・大量消費の文化に世界が反省するチャンス到来なのでしょう。自動車の販売台数が年間20%程度減ったからって嘆くことはないでしょう。人間優先でなく車優先の都市造りで健康被害から様々な問題が生まれたのですから、これを機会に自給率を回復する農業政策を立て直して欲しいですね。
賢い最近の若者たちはマイカーに依存しないライフスタイルを追求するようになったこと、有名ブランドではなくフェアトレードの商品を買うようになり、食についても玄米菜食やマクロバイオティック、有機栽培の野菜の料理が若者文化として普通なって来たのではないでしょうか?ホ・オポノポノの講演会が満席になるなど、日本は「精神的な豊かさ」を大切にする社会になって来ていますが、共産党が若者に人気でマルクスの再評価も嬉しい兆候ではないでしょうか。
アセンションや次元上昇の時代なんて言葉も使っている人が増えました。テレビは無駄な情報を垂れ流し貴重な時間を浪費させますが、パソコンはインターネットを使えばどんな情報でも検索して入手できる時代。しかし使い方を間違うと怖い道具、もっと大切な情報だけを選ぶようになれば、新しい意識に目覚める「認識革命」の時代になるだろうと韓国のノ・ジェスさんが云ってますが、彼の講演会でぜひ熱血トークを聞いてください。
アレイダ・ゲバラ滞在中の通訳だった星野弥生さんが全講演収録を訳し、彼女の滞在中のエピソードも加え「父ゲバラとともに勝利の日まで」を同時代社より出版されました。私のことも何ヶ所で書かれていますのでぜひ読んで下さい。
チェ・ゲバラの生涯を描いた「28歳の革命」と「39歳別れの手紙」の二つの映画が新春早々封切られます。最高にすばらしくチェが演じられ、キューバ革命について理解して頂ける映画です。
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誕生日:
1947/01/08
職業:
ニューエイジ・コメンテーター
趣味:
神道夢想流杖道、トライアスロン、陶芸、その他
自己紹介:
95年1月大震災の2年後に健康道場サラ・シャンティを開く。スピリチャルな時代の到来を待つために会社勤めを続け、2007年1月晴れて定年を向かえる。21世紀という精神性を大切にする時代に相応しい活動に邁進中。
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